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〜これからは自省心と向上心のある「魂」を持つ存在へ〜 (社)日本アマチュアオーケストラ連盟理事長 森下元康 ■はじめに みなさま、明けましておめでとうございます。 私事ですが、昨年7月に大腸の異常が見つかり、検査したその日から入院致しましたところ、その他にも患っておりましたようで、お医者さまは順々に治療しようと長期作戦を立てて下さいました。治療が全部で何楽章あるのか分かりませんけども、まだ序曲が終わった位で、11月末に退院したのですが、これからも闘いが続くと思います。 今日お時間を頂いたのは、みなさまのお顔が見たくて、とにかく今日に照準を合わせて、お医者さまに「注射を打って下さい」とかいろいろ頼み込みまして、とにかく頑張って東京駅に降り立ちました。今日は気候も暖かく体調も非常に元気で大丈夫だという気分で、先ほどからみなさま方の練習を聴いておりました。改めまして、マスターズオーケストラキャンプは10年経ったのだなと思っておりました。 ■「創成期」の頃のJAO 我が連盟は1972年(昭和47年)に23団体で立ち上げました。次の年にはフェスティバルを行いました。その時のコンサートマスターが若き日の徳永先生であり「新世界」のご指導をして頂きました。徳永先生とはそれ以来の40年近いご縁でございますから、徳永先生のお力で連盟を育てて頂いたようなものでございます。先生は、今後10年計画でリサイタルをおやりになるそうでございます。その壮大な先生のお覚悟に我々も負けてはならぬと、これからも先生についていこうと思います。 さて、連盟が立ち上がった頃、アマチュアオーケストラというのはバラバラに活動しておりました。昭和55年頃になりますと、短大や大学に音楽部が急増しました。実際に私は文部省で調査致しましたが明らかに多くなっていました。そんな音楽部のみなさんが3〜4年位しますと卒業し、故郷に戻って就職し、音楽活動を続けられたのでした。我々の連盟でも、その急増ブームにあやかったような感じで、どんどんとオーケストラの数が増えてまいりました。いわゆる「創成期」の頃の我々の活動でございますが、「楽器がない」、「楽譜がない」、「人が足らない」、「練習会場がない」の「ないないづくし」でした。そんな時代にみなさま方がリードされてここまで来たわけでございます。みなさまは、まさに日本の文化の一翼を担ってずっと苦労されてまいりました。私もその末席を汚す一員でございますが、みなさまのことを本当に心から尊敬いたします。 ■「成長期」とトヨタ自動車さんとの関係 そして1980年頃、昭和50年後半から加盟オーケストラも徐々に増え、フェスティバルも毎年続けてまいりました。そうした中、トヨタ自動車さんから「スポンサーになろう」とのお申し出をいただきました。私は「単にお金を提供してくれるスポンサーではなく、一緒になって社会貢献活動を行いましょう」とのお願いをしたところ、快諾がいただけました。これが今日のTCCや、TYOCに繋がってきたわけであります。 トヨタ自動車さんのご支援が得られるようになって、JAOの会員が大幅に増えたことは皆さんのよく知るところであり、この点も大いに感謝していることであります。 ■連盟の社団法人化 1995年には、やっと法人になりました。社団法人になるにはいろいろと難しい手続きがありまして、私はそもそも国語の教師でありましたから法律のことはわかりません。頑張ってみたものの、とても追いつかないと思って、まだ定年まで2年残っておりましたが、「そんなことを言っている場合じゃない」と教員を辞めました。手続きに関する問い合わせが文化庁からひっきりなしにありまして、時にはイジメじゃないかと考えたほどでした。「ドイツの連盟と話をしてくるからこの間は私はおりません」と文化庁に断ってドイツに出かけた時でも、留守中に電話がかかってきて「明日までにこの書類を出すように」と言われた事もありました。そういったことに耐えられないようならば法人になるのを止めろということでしょうね。いろんな試練がありました。しかし周りの人たちに支えられましてやっと法人ができたのです。神野会長とは一緒に靴を減らして寄付集めに回りました。訪問先で寄付を断られ、私ががっかりしていますと、神野会長が「森下君、次は大丈夫だから!」と励まして下さって、また一緒に歩き出したものでございます。村上先生ともご一緒いたしました。あの頃、どれだけ靴を減らしたことかと、今、感慨深く思うわけでございます。 ■技術が飛躍的に高まった「爛熟期」 かれこれ連盟が無事に法人化で一人前になってから早くも15年経ちました。振り返ってみますと一番最初の「創成期」は立ち上げた頃の苦しみ、そして次第にオケも増え人数も増えつつ技術も上がり段々成長してくるという「成長期」、そして90年代終わり頃からみなさまの演奏技術が非常に高くなって「爛熟期」に入ってきたようです。いまやフェスティバルの曲目は、びっくりするような曲ばかりです。そんな中、私はベッドの上で考えたんです。「私たちは次にどこへ行けばいいのだろうか?」と。 ■私たちは次にどこへ行けばいいのか 世界には、このように非常に高いレベルを保っているアマチュアオーケストラ組織はありません。世界にはオーケストラはたくさんありますが、私たちのように「合目的的な〜ある意味精神的な一つの理念を掲げながら文化活動としてやっているという意味で合目的的な〜アマチュアオーケストラの集団」は世界にはありません。いろいろな国を見渡しましたけども、外国では自分たちが楽しむためだけにオーケストラをやっているわけですね。 そのほか、私は例えば私のオーケストラは一昨年、第100回定期を終えました。余談ですが、個人的にはよくも100回も指揮棒を振ったものだなと思った訳でございますが、一つだけ良かった事は、指揮謝礼がタダだったということですね。無料で100回振ったということで、結構足し算しますといいお金になりますから、その分だけ貯金があるだろうと思ったら、大してありませんで、がっかりしましたけれども。(こうした逸話を本にしてみなさんのお手元へ1冊ずつお配りしておりますが、またお読みください。) 話は戻りまして、私のオーケストラでのプログラム。年3回定期があるとして、1回は青少年のためにコンサートを開きます。そうするとスターウォーズを演奏したり、いろんなことをやりますね。そんな曲を指揮したり演奏したりした最中に「俺って何やっているのだろう?」ってふっと思うときがあるんですよ。我々はそういうポピュリズム、つまり大衆に迎合しなければやっていけない面もありますが、本音のところでは「本当はブラームスがやりたい」、「本当はモーツアルトをやりたい」と思っていながら、それだけでは立ち行かないという、矛盾点を抱えつつ活動しているわけです。でも大事なことは選んだ曲の是非云々ではなく、一度立ち止まって「俺っていま何をやっているのだろう?」とゆっくり考えてみることだと思います。 私は次の段階を目指して「プロとアマチュアとの境界線はどこにあるのだろう?」と一生懸命自問自答しました。これまで、アマチュアという言葉にどれだけ私はいじめられたか分かりません。「アマチュアの人はいいねぇ、まぁいざとなれば辞めればいいのだから」とか、「しょせんアマだからねぇ」とか言われました。それが悔しくて悔しくてたまりませんでした。そんなバカなはずはない。一つ仕返しをするとしたら技術が上手くなることです。そして自分達のオーケストラの音を持つ、ということです。 ■自省心と向上心のある「魂」を持つ存在へ 私たちは「草創期」を経て「成長期」、「爛熟期」を経て、これからはいよいよ非常に自省的な内面的な事に取り組む時期が来たと思います。同じモーツアルトをやっていても、単に弾いているだけではなく、それが自分の身体や精神の中でどのように作用しているか?ということを常に確かめていくという方向に行きましょうよ?それが出来ますとアンサンブルは自然に合って来るはずなのです。私たちは次のもう少し上の段階へ行きたい、そうなるともうプロもアマチュアも多分垣根がなくなると思います。アマチュア(amateur)は御存知のとおり、イタリア語のアモーレ(amore)と同じ語源で、「愛する」という意味でございまして、まずは音楽を愛しておればいいわけでございます。一方プロの人はアーチスト(artist)ですが、我々も一生懸命ピアノでもチェロでも一生懸命やって職人みたいに、アルチザン(artisan)のように音楽を勉強しましょう。アルチザンとは職人のことです。アマチュアだって職人でいいと思うのです。その職人の中でも魂がある、自分達で自省をして伸びようという向上心を持つ「魂」を持つ存在でありたいものです。 ■おわりに みなさま、これからはいよいよ次の楽章に入って行きたいと思います。どうかみなさま、故郷にお帰りになってこういう普段の音楽と違う、音楽と関係する深みのある話をお仲間としていただいて、みなさま方のオーケストラで、さらに深い所から、もっと高みから、アンサンブルが、音が、鳴り響き渡りますようにお祈りまして、新年の御挨拶と、今までのお詫びとかいろいろ、まとめて申し上げさせていただきました。本日は誠にありがとうございました。 (文責:森修二)
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